発想を豊かに、そして限界を突破せよ!
子を持つ親は、子供にいろんなものを期待する。集中力、忍耐力、向学心、協調性、語学、スポーツ、音楽・・・。書き出してみると期待の塊のようになっているところもあるだろう。
そんな子供も学校を出て社会人になると、なぜか、発想力なんてものを期待されはじめる。
考えてみると、子育て熱心の親は、後々に期待されることになるこの発想力を錆びつかせる努力を一生懸命しているのかも・・・。
本書は、子供の教育(著者は共育と命名している)に関して、現在の常識からいくと対局にあるかのような、ユニークな思想とヒントを提示している。とても刺激的で、かつ考えさせられる内容がある。
三谷さんの定義によれば、「発想とは、自由で自立的な意思が、多くの観点から見抜いた真実を、さまざまに組み合わせたものの発露である」となっている。
発想力、クリエイティビティといった言葉は、ビジネスパーソンに求められる大切なスキルのひとつである。しかし、子供のころには、それほど意識されない。むしろ、ひたすら親の常識にそって、塾に通わせ、習い事させ、世間の常識と尺度の範疇で抜きんでることを求められる。ここに多いな矛盾が潜んでいる。
著者から発せられる、下記の最初の問いは、なかなか深い。
希少な幼年期(幼稚園、保育園、小学校)に、塾や習い事で鍛え上げること
は、本当に将来の発想力を伸ばすことにつながるのだろうか?
「ヒマ(時間的自由)」と「貧乏(手段の制限)」と「仲間(インタラクション)」が子どもの創意工夫を生み出し、未来の発想力につながる・・という仮説のもと、著者の育児体験、PTA会長の経験、そしてプロフェッショナルなコンサルタントの世界の知見を駆使しながら、その検証を提示している。
僕がとても深く響いたのは、「なぜだろうの心」を刺激するさまざまな問いかけと、限界は自分の中にある、それを突破しようといういくつかのエッピソードである。
たとえば、何故だろう(好奇心)のところでは、
なぜ、貯水タンクは円柱状なのか
なぜ、1分は60秒なのか
なぜ、夜空は暗いのか
なぜ、空気は透明なのか (Thinkで読んだ方もいるね)
など大人も、うーむと首をひねる問いがある。
大切なことは、その問いの答えをしっていることではない。それを考える力、考え抜く力こそが大切なのだ。
小学校のPTA会長として、親や子供に発せられた、ユニークなメッセージも実に楽しい。
変わるべきは親、私たちであり、それは自分のためでもあり、子供たちのためでもある。子供のなぜだろうの好奇心と自立の心を育むブレーキにならないよう、気をつけたいものだ。
大いなる刺激と、変化のきっかけをもらえる素晴らしい本である。
著者の三谷さんは今、教育の分野に情熱を注いでいる。教育ではなく、共に育つ“共育”の世界だ。
子供は、教えるべき対象ではない、共に育つものだ。教育とは、学ばせる
ことではない。学びに誘う(いざなう)ことだ。
そしてその時のキーワードは、楽しさである。
そんな三谷さんの話を読んでいると、筑波大学付属小学校で教鞭をとっておられる露木和男さんや、杉並区立中学の校長として活躍中の藤原和博さんを思いだす。
それぞれ、社会人となったときに必要とされる大切な力を育むための努力と工夫を実に粘り強くされている。
次世代の子供たちが生き生きと暮らせるためにできること。その一つに
学校へ行こう。(生徒ではなく、講師として)
がある。
三谷さんもこなんなメッセージを読者に出している。
社内や身の回りを見渡して、研修講師の口がないか探してみよう。
できそうなものがあったら、迷わずやるべし。
適当なものがなかったら、勉強会と称して「自分の得意なこと」を
テーマにした集まりを組織しよう。もちろんあなたが講師。
社内講師をやろう。なんでもいい。
勉強会講師をやろう。なんでもいい。
先生になって、学校へいこう! なんでもいい(たぶん)。
★★★★★+素朴な疑問
・自由な発想でものごとを考えたい方
・人を育てる立場の方
・発想力って何かを感じたい方